雨のち晴れ

自由帳

暴力的指導(体罰)は絶対にだめだ

こんにちは。

 

初投稿です。
プロフィールにもある通り、ADHDなんで誤字脱字ありまくり、三日坊主になるかもしれないですがよろしくお願いします(^ ^)

 

 


学部生の頃から関心を寄せている、体罰の問題について書いて見ました。自分用のサブ記録として書いているので、見づらい、誤字脱字等あります。誤字脱字等の指摘は不要です。

 

 
1.教育における体罰とはなにか

 教育における体罰とは、教師が児童生徒及び学生に対して教育的効果の向上を期待し若しくは校則等に違反した場合に、その身体に罰を加えることを言います。その罰の形式は有形無形を問いません。無形とは精神的な苦痛などです。

 このblogのタイトルは「暴力的指導(体罰)」となっています。私は、体罰は正当な罰ではなく、違法性を帯びた罰だという認識からそのように表記しています。しかし、blogの中で表記が混在すると紛らわしくなるので、以下「体罰」と表記するようにします。

 

・学校教育法第11条と文部科学省の通知

学校教育法第11条 

校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。

 条文を字義通り解釈すれば、校長及び教員は体罰を加えてはならないと読むことができます。しかし、必ずしも文部科学省の通知や裁判例では、児童生徒及び学生に対する有形力を伴った一切の指導が体罰になるわけではないとしています。次に、文部科学省初等中等教育局長から各教育委員会及び国立付属校宛てに出された通知(別紙)を引用します。

(4)児童生徒に対する有形力(目に見える物理的な力)の行使により行われた懲戒は、その一切が体罰として許されないというものではなく、裁判例においても「いやしくも有形力の行使と見られる外形をもった行為は学校教育法上の懲戒行為としては一切許容されないとすることは、本来学校教育法の予想するところではない」としたもの(昭和56年4月1日東京高裁判決)、「生徒の心身の発達に応じて身長な教育上の配慮のもとに行うべきであり、このような配慮のもとに行われる限りにおいては、状況に応じ一定の限度内で懲戒のための有形力の行使が許容される」としたもの(昭和60年2月22日浦和地裁判決)などがある。

引用:平成19・2・5−18文科初第1019号初等中等教育局長

 上記の引用にあるように、教師による有形力行使が全て否定されているわけではないことが分かると思います。この通知(別紙)では、どのような懲戒が体罰に該当するするのか、また有形力の行使が刑事上又は民事上の責めを免れうるのかを例を挙げて呈示しています。具体的に何が体罰に当たるのか又当たらないのかをみます。

 

体罰に当たる事例

 体罰は、「体罰」という言葉の通り、主に「身体」に「罰」を加えた場合に認定されることが多いです。以下に例を挙げます。

◯身体に対する侵害を内容とするもの
 ・体育の授業中、危険な行為をした児童の背中を足で踏みつける
 ・帰りの会で足をぶらぶらさせて座り、前の席の児童に足を当てた児童を、突き飛ばして転倒させる。
 ・授業態度について指導したが反抗的な言動をした複数の生徒らの頬を平手打ちする。
 ・立ち歩きの多い生徒を叱ったが聞かず、席につかないため、頬をつねって席にすかせる。
・生徒指導に応じず、下校しようとしている生徒の腕を引いたところ、腕を振り払ったため、当該生徒の頭を平手で叩(たた)く。
・給食の時間、ふざけていた生徒に対し、口頭で注意したが聞かなかったため、持っていたボールペンを投げつけ、生徒に当てる。
・部活動顧問の指示に従わず、ユニフォームの片づけが不十分であったため、当該生徒の頬を殴打する。

◯被罰者に肉体的苦痛を与える与えるようなもの
・放課後に児童を教室に残留させ、児童がトイレに行きたいと訴えたが、一切、室外に出ることを許さない。
・別室指導のため、給食の時間を含めて生徒を長く別室に留め置き、一切室外に出ることを許さない。
・宿題を忘れた児童に対して、教室の後方で正座で授業を受けるように言い、児童が苦痛を訴えたが、そのまま姿勢を保持させた。

引用:平成25・3・13−24文科初第1269号文部科学省初等中等教育局長
                    文部科学省スポーツ・青少年局

 

体罰に当たらない事例

有形力の行使以外の方法により行われた懲戒については、例えば、以下のような行為は、児童生徒に肉体的苦痛を与えるものでない限り、通常体罰には当たらない。

◯放課後等に教室に残留させる(用便のためにも室外に出ることを許さない、又は食事時間を過ぎても長く留め置く等肉体的痛を与えるものは体罰に当たる。
◯授業中、教室内に起立させる。
◯学習課題や清掃活動を課す。
◯学校当番を多く割り当てる。
◯立ち歩きの多い児童生徒を叱って席につかせる。

引用:平成19・2・5−18文科初第1019号初等中等教育局長

 
 このように体罰に当たらない事例を見てみると、多くの教員が行っている懲戒の方法ではないかと思います。私も、宿題を忘れたりして雑巾掛けをたくさんしました(汗。体罰に当たらないのは、先ほど挙げた例以外に、有形力の行使を伴った懲戒が体罰には当たらないとされるものもあります。

 それは、児童生徒から教員に対する暴力行為に対して、教員等が防衛のために有形力を行使した場合、また、その他周りの児童生徒に対して暴力行為が行われている場合は正当防衛、正当行為として刑事上又は民事上の責めを免れるとしています(正当防衛というのは刑法第36条1項を指していると思いますが、そこまで扱うととんでもない文量になるので割愛)。一方で、最高裁が児童に対する有形力の行使が体罰に当たらないと判示した事例もあり、有形力の行使が体罰であるとも断言できない状況がある。


 次は具体的に2つの事例から体罰について考えてみます。

 

 

2. 2つの裁判例からみる体罰

 具体的に2つの裁判例から体罰をみます。1つ目は、教員の指導を聞かず反抗され生徒を突き飛ばした結果、支柱に頭を打ち付け生徒が死亡した事例。2つ目は、教員が小学校2年生の児童の胸元を掴んだ指導が体罰には当たらないとされた事例。この2つの事例を参考に体罰を考えます。

 

体罰が直接的な原因となり生徒が死亡した事例

(事案の概要)

 教員が放課後に再試験を実施していた際、再試験を受ける必要がなかった生徒が教室内にいたため、生徒を廊下に出させようとしているうちに生徒のスカート丈が校則に違反していることに気づいた。教員が生徒にスカート丈を正しく直すように指導したが、生徒が指導に従わず口答えするなどしたため教員が激怒し、生徒の肩付近を2回連続して強く突き、さらに右側側頭部を突き上げるなどの暴行を加えたところ、生徒がそばのコンクリートの柱等に激突。その結果、生徒を死亡させた。

 

(教員の主張)

①教員の行為(体罰を含む)は教育の為に行われたもの。
②被害者は家庭の躾(しつけ)が十分ではなく、この点を無視して教員だけに責任を問うことはできない。
体罰を容認させる空気が学校にはある。その原因は、躾教育や管理主義・選別教育等の功罪が問われるべきである。
④定員を超える生徒数、不足する教員。詳細かつ窮屈な校則、躾教育の重視など教員に体罰を容認せざる得なかった学校管理体質・教育態様をとっていた高校にこそ大半の責任がある。

 

(裁判所の判断j)

①教育の名に値しない私憤に由来する暴行
②教員が主張する「②ないし④」について、学校教育法第11条但書(ただしがき)の趣旨は、問題生徒の数が増え問題性よりも深化して教員の指導がますます困難の度を加えつつある現状においても、学校教育の現場において何よりも尊重、遵守されなければならず、ましてや、教員が感情的になって暴行を振るうことは厳に戒められるべき。

高校生に対する生活指導を含め教育の現場においては当然のことながら対象者の人格の完成度が低い故に多大の忍耐力が要求されることは多言を要しないところであり、生徒に対する懲戒権について定めた学校教育法11条ただし書きで体罰を禁止しているのは、体罰がとかく感情的行為と区別し難い一面を有している上、それらを加えられる者の人格の尊重を著しく傷つけ、相互の信頼と尊敬を基調とする教育の基本理念と背馳しその自己否定につながるおそれがあるからであって、問題生徒の数が増え問題性よりも深刻化して教師の指導がますます困難の度を加えつつある現状を前提としても、その趣旨は学校教育の現場においてなによりも尊重・尊守されなければならないことはいうまでもない。ましては、生徒が反抗的態度を取ったからと言って、教師が感情的になって暴行を振るうことは厳に戒められるべきことである。
福岡高判平8・6・25判タ921号297

少し長いですが、判決文を引用しました。

 

(判決)

刑法205条 傷害致死罪 懲役2年 (求刑3年)
福岡高裁1996年6月25日

参考:判例タイムズ921号297号 

 

なぜ、数多くある体罰に関する判例の中でこれを選んだかを簡潔に書きます。2019年1月に東京都立町田総合高校で生徒が教員の指導に従わず、教員が体罰を行いました。学校教育法11条で体罰が禁じられているにも関わらず、教員が行った体罰を擁護する世論が少なからずありました。それに危機感を抱いたので、この判例を判決文と共に紹介しました。2019年の詳細についてはリンクからどうぞ。

 

www.asahi.com

 

 

・児童に対する有形力の行使が体罰とされなかった事例

(事案の概要)

 小学3年生担当の臨時教員Zが児童C(小3)をなだめていたところ、児童X(小2)が通りかかり、教員Zに覆いかぶさるような形で教員Zの肩を揉み始めた。児童Cの指導の邪魔になるため、児童Xに離れるように言ったが聞かなかったため、上半身を捻るように児童Xを振りほどいた。その直後、児童Eら(小6)数名に児童Xと児童Fがじゃれつくように足で蹴り始めた。児童Eらが教員Zに「いつもこうやって蹴ってくる」と言ったため、児童Fの肩を両手で押さえ、蹴る行為を制止し、主に児童Fに対して注意した。すぐに指導が終わり、教員Zが職員室に向かい歩いているときに、児童Xが教員Xの臀部付近を2回蹴り逃げ出した。教員Zは追いかけ校舎内の階段で捕まえた。教員Zは児童Xの胸元の洋服を両手で掴み壁に押し当て、つま先が浮き上がるまで持ち上げた。そして、児童Xに対し大声で「もう、すんなよ」と怒った後、手を離したところ、その反動で児童Xは階段の上に投げ出され転ぶ形になった。児童Xが帰宅後、夜に激しく泣くなどした。その後、心的外傷後ストレス障害PTSD)を発症、円形脱毛症、笑顔が消失するなどの症状が現れた。

 このような事実を基に、児童XがY市及び教員Zに対し、児童Xが教員Yの体罰により心的外傷後ストレス障害PTSD)に罹患したと主張して、国家賠償及び損害賠償各350万円余を求めた事案です。

 ☆ここではPTSD云々よりも、裁判所が体罰をどう捉えているのかについてクローズアップします。

 

(裁判所の判断)

◯第一審(地裁)
 ・教員Zは児童Fの行動に対して注意をする際には、児童Fの肩を両手で押さえて蹴る行為を制止して口頭で注意して行為が止まっている。一方、教員Zの臀部を児童Xが蹴った際には、首に近い胸元を掴み、壁に押し当てながら、児童Xがつま先立ちになる程度に上向きにつり上げている。その際に、大声で怒るとの行為に出ている。
 ・教員Zが児童Xとの面識がなく、どのような教育的配慮を要する児童かも知らない。
 ・教員Zの行為は、個人的な腹立たしい感情を児童Xにぶつけたものと認めざるお得ない。

◯第二審(高裁)
 ①胸元を掴むという行為は、喧嘩闘争の際にしばしばみられる不穏当な行為である。
 ②児童Xの年齢、教員Xと児童Zとの身長差及びそれまで面識がなかったこと等を総合すれば、児童Xが教員Zの行為によって被った恐怖心は相当なものであったと推認される。
 ③教員Zは、逃げる児童Xを捕まえるためにXの胸元を掴んだものであるが、児童Xの手を掴むなどのより穏当な方法も可能なはずである。
 ①〜③を総合すれば、教員Zの行為は、社会通念に照らし教育的指導の範囲を逸脱するものであり、「体罰」に該当する行為であると認められるのが相当である。

一審と二審をみると、同じような根拠づけで教員Zの行為が体罰に当たるとされていますが、三審でそれが180°ひっくり返ります。

◯第三審(最高裁
 短いのでそのまま最高裁判決の一部を引用します。

教員Zの本件行為は、児童の身体に対する有形力の行使ではあるが、他人を蹴るという児童Xの一連の悪ふざけについて、これからはそのような悪ふざけをしないようにXを指導するために行われたものであり、悪ふざけの罰として児童Xに肉体的苦痛を与えるために行われたものではないことが明らかである。教員Zは、自分自身も児童Xによる悪ふざけの対象となったことに立腹して本件行為を行なっており、本件行為にやや穏当を欠くところがなかったとはいえないとしても、本件行為は、その目的、態様、継続時間等から判断して、教員が児童に対して行うことが許される教育的指導の範囲を逸脱するものではなく、学校教育法11条ただし書にいく体罰に該当するものではないというべきである。したがって、教員Zのした本件行為に違法性は認められない。

参考:最高裁判所第三小法廷平成22年4月28日判決 (平20(受)981号、損害賠償請求事件)

先ほど挙げた事例と比較してどうでしょうか。 

 

3. やはり体罰はいけない

 簡単なまとめ、です。

判例から

 最初に挙げた判例の判決文に「体罰がとかく感情的行為と区別し難い」「体罰を加えられる者の人格の尊重を著しく傷つけ、相互の信頼と尊敬を基調とする教育の基本理念と背馳」とあります。まさにその通りでないでしょうか。
 2つ目は最高裁で大きく判断が変わりました。教員の行為が体罰ではない、と判断されましたが児童が被った不利益の責任は誰が負うのでしょうか。学部生のときにこの判例を初めて読みましたが、納得できるものではありませんでした。

 

・日本行動分析学会の声明

 2014年に日本行動分析学会が『「体罰」に反対する声明』http://www.j-aba.jp/data/seimei.pdfを出しました。体罰を行うと「強い苦痛刺激によって攻撃行動が自発する。攻撃行動の対象は「体罰」を与えた人とは限らない」「繰り返しの苦痛刺激を与えられることで耐性が上がり、同じ効果を得るためにより強い刺激を使わなければならなくなる」など行動分析学の知見から体罰に反対しています。体罰は短期的には効果があるかもしれない。しかし、それは一時的で長期的にみると教員や児童生徒にとって不利益しかありません。

 

4. My opinion 

 正当防衛等を除き、体罰には反対です。それは、子どもの法的権利保障、心理学などの学術的知見などからです。
 権利についてですが、例えば、教員が学校外で子ども殴ったら逮捕されます(それは教員以外もですが)。しかし、学校内ではよっぽどのことがない限り逮捕されません。教育という名の下で大人が暴力を振るうことが容認されているのなら、それは法治された社会とは言えません。自由権が侵害された前近代的な状況です。

 学部生のときに、スポーツ科学論という授業を履修しました。いわゆる体育科目です。科学的にスポーツをみるという...授業名そのままの内容でした。陸上選手にアフリカ系の選手が多い理由、長距離や中距離選手の筋繊維組成の違い、トランスジェンダーの選手登録などです。やはり、大学の授業なので中高の保健体育より学術的な内容でした。
 そのときに思ったのは、部活動をもっと科学的にできないかということです。根性論ではなくです。数年前に大阪の高校生が顧問から暴力等を受けそれが苦痛で自殺しました。指導方法や選手のマネジメント、知識が古すぎる。先ほど挙げだ、日本行動分析学会がネガティブな指導と指摘している内容を今だにしている教員は多いと多いです。教員免許が更新性になり10年が経ちました。この制度に批判の声もありますが、一応、今も続いているのでどうにか活用してできないかとも思います。

 

長文になってしまいましたが、ひとつの記録として。
子どもの権利について色々調べて見たいなぁ。